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[FDclone-users:00437] Re: 出射厚氏(FD の作者)逝去の報
- Subject: [FDclone-users:00437] Re: 出射厚氏(FD の作者)逝去の報
- From: Takashi SHIRAI <shirai@unixusers.net>
- Date: Mon, 10 Oct 2005 04:29:28 +0900
しらいです。
In Message-Id <20051009.202448.125877847.kojima@linet.gr.jp>
KOJIMA Mitsuhiro <kojima@linet.gr.jp>さんwrites:
> FDclone の Plamo Linux 用メンテナのこじまと申します.
> slashdot.jp 等に記載されたのでご存知の方も多いかと存じますが,FDclone
> の名前の由来となった DOS 用の FD の作者の出射厚氏が(ずいぶん以前ですが)
> 昨年の 11 月に亡くなっていたそうです.
情報リソースは WinFD だそうですけど、寡聞にして私は全然知
りませんでした。私はご遺族や関係者の連絡先を知らないので、真
偽の程は確認出来ないのですが、本当なんですか?
別に疑う訳ではないんですが、簡単に風評にしていい話題ではな
いので、ちょっと慎重なスタンスを取ろうと思っています。
でももし本当だとしたら、あれだけ多くのユーザから愛されてい
たソフトの作者が、その死が一年近くも世間に知られないままだっ
たというのは何ともやるせない想いです。
ネット社会の繋がりが決して上辺だけのものだとは思いませんが、
現実社会と比べると本人とのパイプ以外のチャンネルが少な過ぎる
ので、何らかの原因によりその殆んど唯一のパイプが切れてしまう
とどうしようもなくなっちゃうんですね。
UNIX time で 35 年、MS-DOS time でも 25 年を迎えた今日、コ
ンピュータの歴史の黎明期を築き上げた方々の訃報を頻繁に目にす
るようになりました。そろそろその「何らかの原因」が最悪の不幸
であることが普通になってきているのかも知れません。
新聞の訃報欄だと余程の著明人でないと載せてくれませんから、
我々市井の民の最期を周知させるためのシステム作りってのも、こ
れからの IT 業界の一つのテーマなんじゃないでしょうか。
ことが軽々しく扱えない微妙な問題だけに、一朝一夕には解は出
ないとは思いますが、これだけ情報技術が発達してるのにこんな重
要な情報が伝えられないという現実に歯がゆい思いです。
> 我々が愛用している FDclone とは,名前と look & feel の類似性以上の関係
> は無いと思いますが,かって PC98 や DOS/V 時代に FD を愛用していて,現
> 在も FD にインスパイア :-) された FDclone を愛用している人間として,哀
> 悼の意を表すとともに出射氏の御冥福を祈りたいと思います.
/. は記事を網羅的に読む方法を知らないので、かい摘んでしか
読んでいないのですが、なんか一部の方は『FD』と FDclone と
を混同しちゃってるみたいですね。
まー、ユーザにとってはソフト自体が全てであって、誰が作った
とかどういう系譜を辿っただとかいった背景情報は知りたくもない
でしょうから、ごっちゃにしてても仕方ないとは思いますが。
実のところ、FDclone は『FD』のクローンってことになってま
すけど『FD』を目指して開発してた訳じゃなかったりするので、
個人的には明確に別物として認識して欲しいんです。
そもそも、元々のきっかけは『FD』ではなくて、「fu」という
UNIX 版ファイラだったんですよ。fu も『FD』志向なソフトだっ
たんですが、これが UNIX との親和性が悪くて実用的ではありませ
んでした。
UNIX の特性を無視したまま MS-DOS 無けの interface をそのま
ま持って来てたので、当時かなり手を加えて初めて使いものになっ
ていたと思います。
その後、fu の改造では飽き足らず、同じ焼き直しでももう少し
志し高く移植すべきだというポリシーで改めて一から作り直したの
が FDclone です。
『FD』のクローンを名乗るに至ったのは、実は単に「fd」とい
うコマンド名にしたかったからに他ならず、interface まで模した
のは出射さんの許諾を得るための後付けの理屈だったんです。
「fd」という並びは確かに入力し易いんですよね。尤も UNIX 的
には「df」の入力ミスで起動しちゃうとか fd(5) の man page を
参照しづらいとかいった弊害もある訳ですが。
勿論、出射さんに対する respect はありますが、『FD』にイ
ンスパイアされたというのとはちょっと違うので、WinFD 等の派生
ソフトと一括りにされるのは複雑な気分です。
そう言えば、FDclone の MS-DOS 対応とか Cygwin 対応とかって、
純粋に技術的興味という理由以外に、『FD』の Windows 版って
shareware しかないねーという声に対する応えだったりもしたんで
すよね。
だから FDclone は WinFD や WinFM のアンチテーゼでもある訳
で、猶のこと一緒くたに対する抵抗は大きい訳です。まー作者の独
善でそう思ってるだけですけどね。
それはともかく、折角の機会でもあるので『FD』文化に関する
発表でもまとめてみましょうかねー。
実は FDclone の紹介として今度の関西オープンソースでステー
ジ枠を確保する予定だったんですけど、FDclone に矮小化した話で
はなくてもう少し大きな枠で捉えた方が面白いかも知れません。
FDclone は既に仕様も志向も『FD』とは全然違う方向につっ走
ってしまってるんですが、GUI と CLI の丁度中間的な微妙なバラ
ンスのところにいるツールという共通点は維持してますからね。
そういうツールの意義は少なからずある訳だし、それは決してマ
ニアックなニーズではなくて論理的根拠に立脚した理屈なので、ち
ゃんと説明すれば普通に共感を得られると思います。
まー今思いついたばかりなのでもう少し練らないと中身の薄い発
表になっちゃうでしょうけど、この辺りで何かみなさんの意見でも
あればお聞かせ下さい。
しらい たかし